レプリカ虚像乙女
【第九章、亀裂 八十一話、デートは二人きりで】


ちょっと昼飯でも食いに行かねぇか、そう誘われたのは今朝だった。
銀さんからの食事のお誘い。まさかいきなりこんな展開になるなんて思ってもいなかった。内心驚いたのは言うまでもない。むしろ表情に出てしまっていたかもしれないが。普段なら万事屋の年少組二人も一緒に……との話になるけれど、新八くんが気を利かして神楽ちゃんを彼の実家に連れて行ってくれている。お二人でゆっくり過ごして下さい、なんて言われてしまった。今回はお言葉に甘えようかな。その代わり、晩御飯はうちで食べて帰ってと約束したけれど。昼間に手抜きした分、夜は頑張らなくちゃ。

考えてみると、今日のように二人で時間を過ごしたこともなかったなぁなんて思ってみたり。万事屋に居候してから結構時間が経ったけど、家にはいつだって神楽ちゃんがいるし、新八くんもほぼ毎日顔を出してくれている。時には大事件に巻き込まれ、はちゃめちゃな一日になったりもした。まあ私と銀さんは、別にそんな関係でも無いんだけれど。

私は午前中に万事屋のとある依頼を手伝ってから、銀さんと合流することになっていた。私でもできる簡単なお仕事。ちなみに隣町のお婆さんの買い物代行だ。腰が悪く重い荷物を持てないので、万事屋が交代で顔を出しては、米や油などの荷物を買って届けている。届けた後に世間話をすることが多いので、私を指名してくれることが多かったりする。今日だってそう。午前中に終わるはずのお仕事だったが、家に上がって雑用を二つ三つこなしていたらお昼になってしまった。


「急がないと遅刻しちゃう!」


集合時間が迫ってきている。こういう時に連絡手段が無いのが辛い。きっと私が来るのを待ちぼうけているのだろう。昼を少し過ぎた、ある日曜の午後のことだ。

銀さんとの待ち合わせはかぶき町から徒歩圏内の公園。住宅街の中にあるような小さな公園ではなく、噴水やら遊具に芝生まである大きな公園である。私が万事屋に来て早々、定春くんのお見合いでやって来たことがあった。緑が多くて、犬の散歩やジョギング、子供のボール遊びなどが盛ん。いつも人が多い印象がある。
入り口近くのベンチに座っているから、と言っていたのでおそらくわかりやすい場所にいるのだろう。

銀さん……怒っていないだろうか。

小走りで通りを抜けると公園の緑が見えてきた。拗ねていたらどうしよう。まあ謝るしかない。さあ待ち合わせ相手はどこにいるのだろうか。
公園に踏み込むとすぐに男は見つかった。しかし何やら同心に囲まれていて……その中には若い女性の姿までも。周囲には野次馬が数人、ことのあらましを見ているらしい。これは一体何が起こっているのだろうか。銀さんが何やら事件に巻き込まれている?


「あの!すみません!銀さん!?」


複数の同心に手を捕まれて、今まさに連れて行かれようとしていたようだ。私が声をかけると、応じる小さな声が聞こえた。男の表情は焦りに満ちていて額には冷や汗が垂れている。一体何があったのだろうか。

「君、何だね。この男性の知り合いか」

同心にそう尋ねられて私は頷いた。よくよく話を聞いていると、このベンチから公園の向こうにあるマンションに住むこの女性の部屋……強いて言うなら、女性の着替えを覗いていたというのだ。まさか。視線に気付いた女性の訴えにより、銀さんから話を聞くために任意同行を願っていたのだと言う。


「銀さん……覗いたんですか」
「いやぁー、そのっ……カーテンが開いててね」
「もう一度聞きます。覗いたんですか」
「覗いてたって言うか、見えちゃったって言うかァ……アダダダ!!!」


食事に誘われたと思った矢先、そんな破廉恥な行為を起こして同心に職質されるなんて。せっかくの気分が台無しだ。遅刻しそうだと走って来たあの努力は一体何だったのだろうか。頭にきた私は男の頬を思いっきり抓っていた。容赦なんてしない。女性の敵だ。最低!

そもそも見えちゃったって何だ、見えちゃった、って! きっと意気揚々と鼻の下を伸ばして見たくせに!!

私の中で形容しがたい怒りがこみ上げてくる。そして怒りは自然と頬を抓る指の力に変わっていった。ギリギリと伸びた皮膚が千切れそう。いっそ引き千切りたい気さえする。鈍い悲鳴を上げ続ける銀さんを見かねてか、男を取り囲んでいた同心が私をなだめるように声をかけてきた。


「ちょっとちょっと!落ち着いて。貴女この人の奥さん?」
「違いますけど!ただの居候ですけど!!」
「まあまあ落ち着いて。状況を聞く限り双方落ち度はある。着替えを撮影をしていた様子もない。そこの君、今回は証拠不十分で厳重注意で済ますけど、次はないから気をつけなさい。こんな女性がいるんだから他の女にうつつを抜かさんように」
「アダダダ!すんません」


私は着替えを覗かれたと言う女性に頭を下げて、精一杯の謝罪をした。私には誠心誠意、謝ることしか出来ない。「フン!もう良いわ!」そう言い残して女性は自宅のマンションの方に歩いて行く。そして残った同心にも、連れの銀さんがご迷惑をかけた旨を謝罪した。同心が去ると、周囲の野次馬も散り散りに去っていく。
騒動が収まった公園で、は改めて銀時に向き合った。「何か言うことは?」語気を強くしてそう言うと、両手を合わせて男が頭を下げる。


「すんませんっしたァァァ!神様仏様様!!もうしません!二度としません!」
「普段から脇が甘いのよ。見えてしまったら目を背けるくらいして下さい」
「いや……努力します。風呂上がりのの寝間着の重なりが緩んでいても、我慢します」
「見たんですか?」
「銀さんこー見えても男だからね。いや!見てないからね。見えてただけだからねアダッ!」


相変わらずの詰めの甘さ。さっきまで心底反省しきっている様子だったのに。あれは演技、あるいは薄っぺらい謝罪だったのか。私は怒りを指先に込め、渾身のデコピンを食らわした。男のおデコが赤く腫れている。でもこれは自業自得だから仕方ない。本当に、せっかくの休日が台無しだ。

「ご飯。中止でも良いですけど」

私が吐き捨てる様にそう言うと、間髪入れずに「行くに決まってんだろ」と返ってきた。
今日の行先は近所のファミレス。季節限定のスイーツに力を入れているらしく、丁度今は“いちごフェア”。銀さんは本当にイチゴ好きだなぁ。まあ彼の一番は甘ったるいイチゴ牛乳だけど。糖尿病予備軍と知らされてから、一週間単位でおおまかに食事をコントロールをしている。今日はデザート一つくらい許してあげよう。

私は何を食べようか。心を躍らせながら公園を出ると少なからず例のマンションの前を通ることになる。そのマンション前の道に差し掛かると、周囲に多数の人が集まっているではないか。何だ……これ。人々が上を見上げている。ある人は上を指差し、ある人は心配そうな声を上げている。上に何があるのだろうか。
私たちも上を見上げると、最上階のベランダに人影が見えた。え……?


「(女の子が……飛び降りようとしている!?)」


ベランダの柵を乗り越えた位置には学生と思える若い少女が身を乗り出し、細い二本の手で手すりに掴まっているだけだった。「死んでやるぅぅぅ」と悲鳴のような叫びが聞こえる。下はコンクリートの道。落ちれば大けがでは済まない。打ちどころが悪ければ……。少女は今まさに飛び降りようとしていた。

「銀さん!!あれ!!」

私は上を指差して銀さんの腕を掴む。


「お前!!何してやがんだ!!馬鹿な真似はやめろー!!!」


力いっぱい叫ぶ声が響いた。緊張感の漂う現場にはよく通る。
「死にたいのか!!そこから動くんじゃねーぞ!!」銀さんは追ってそう叫ぶと、私には下で待っているように告げる。私は頭をただコクンコクンと頷かせるしかできなかった。

「今からそっちに行くから!!待ってろ!!」

ヒーローのように、銀さんがマンションの入り口から中に入っていった。少女の体が随分とずり下がっている。銀さん……早く、間に合って!! 何もできることが無く、立ち尽くすだけのは心の中で叫んでいた。
「きゃ!!!」短い悲鳴と共に、少女の手が離れるのが見えた。


「ああ!!」


最悪の事態が浮かんで思わず目蓋を固く閉じてしまった。

どうかあの子を助けて! 神様お願い!

まず始めにドコッと鈍い音がして……少し遅れて地面に何かが落ちる音が響く。周囲の固唾をのむ様子が、目を閉じていても感じられた。だが悲鳴も動揺も続かない。不思議なくらい静まり返っている。あの少女はどうなったのだろうか。
が恐る恐る目蓋を上げると少女は仰向けに倒れていた。下には、少女を庇うようにして倒れる男性の姿が。この人が、少女を守ったのだろうか。マンションの上階を見上げると、少女がいたベランダには銀さんがひょっこりと顔を出していた。

「助かったァァァ!!!」
「すごいわ!奇跡よ」
「見た!?下の人が身を挺して助けたのよ!!」

周囲の人々が興奮した様子で声を荒げている。
事のあらましをすべて見ていたわけではないけれど、人々の言葉から推測すると、下敷きになった男性が受け止めようとしたのか。少女の体は地面に叩きつけられることなく無事だった。代わりに男性はピクリとも動かない。

「誰か救急車を!!」
「この勇敢な人を助けるんだ!!」
「しっかりしろ!!」

人々がそう叫び、すぐに近くの公衆電話から救急車が手配された。職業病だろうか。私は倒れ込んだその男性に駆け寄り、呼吸次いで意識の有無を確認していた。呼吸はあるが意識はない。目立った外傷も見当たらない。触ってみても頭が腫れている様子はない。頭を打っていなければ良いけれど……。
やがて遠くからサイレンの音が近づいてきた。チカチカと赤いランプが輝いている。救急車から降りて来た救急隊が、ストレッチャーに男性を乗せて運ぶ。少女の方も意識はあるが、念のため同じ救急車に乗って運ばれていった。周囲の興奮はまだ醒めない。すごいすごいと、人々が男性の勇敢さを賞賛している。

でも私はその興奮に共感することはできない。今まさに目の前で人の命が失われようとしていた……。助かったのは不幸中の幸いだろう。誰も、死ななくて良かった。




「銀さん」



いつの間にかマンションから降りてきたらしい。正直、降りて来たことにも気づかなかった。声をかけられて私は後ろを振り返る。
彼も……下手に巻き込まれずに無事で良かった。何も言うことなく、私は銀さんの胸元に抱きついた。

「おいおい!?」

彼の方はとても驚いた様子だったけれど。ごめんなさい。私はそれだけを告げてその胸元に顔を埋める。筋肉質だけど……少し肉もあって柔らかい。やがて私の背中に静かに手が回った。体温を分け合うような感覚がする。


「不安だったの。人より少し、死が近い位置にあるのに。多くの死と隣り合わせでいるのに……いつまでたっても臆病で。向き合えなくて。誰も死ななくてよかった」
「お前のこと臆病なんて言えやしねーよ。みんな同じなんだからよ。それに、駆け寄って男の容態確認して、救急隊に引き渡す時にも状況伝えてただろ。普通そんなこと出来やしねーよ。俺からしたら良くやったって褒めるぜ」
「ありがとう。嬉しい」


大きな手で優しく頭を撫でられた。心地良い。ずっと撫でられていたいと思ってしまった。

「いーのいーの。は良い子出来る子頑張る子だからな。たまには銀さんに甘えなさい」

普段よりずっと優しい声が降りてくる。私の背中に回った手に力が込められたような気がした。ずっとこのままでいたい。ずっと銀さんや皆と万事屋として生きていたい。もしそれが叶うなら、このまま記憶が戻らなくたって……。
男の胸元にすべてを預けていると、「あらあら」なんて周囲の声が届いた。


「ごめんなさい外でした。早くご飯行きましょう」
「もーちょっとだけ」
「良いですけど。今後は破廉恥行為しないって約束してください」
「あの状況は不可効力だからね……ゴッフォ」


に習った暴漢対策講座「胸部卒倒編」が役立ったかもしれない。
その場に崩れる銀さんを置いて私は一人でファミレスへと足を進める。「おいィィィ!!ちゃーん」後ろから声だけが届いた。

「何ですか?」

立ち止まって振り返ると、道に座ったまま手を伸ばす大きな子供がいた。あれほどいた周囲の通行人は消えて人通りもまばらだ。


「一人で立って下さいってば」


そうは言いつつ銀さんに甘くなってしまった私は、彼の元へ戻ると伸ばされた手に手を重ねる。引っ張り上げようとしてもビクともしないのは当たり前。逆に引かれて体勢を崩すのも……予想していた。


*****


銀さんが時折通うファミレス「でにぃず」で私達はご飯を食べていた。まだメインのご飯を食べ終わっても無いのにデザートが既に二つ並んでいる。そこはもう突っ込まないでおこう。これ以上の喧嘩は良くない。


「そう言えば。髪、伸びたな」
「えっ?結わいているのによく気付きましたね」
「さっき頭撫でた時にそう思っただけだ。っても、真選組屯所で見た時には肩くらいだったのに、もう腰まで行ってんじゃね?」


流石にそれは否定しておいた。元の長さは確かに腰ほどあったけれど……今はまだ肩甲骨の下ぐらいだろうか。

「まだ染めてんのか」

元々は薄いベージュ色。でもあの日、私の記憶が無くなった時には……漆黒だった。 髪染めは興味が無かったし、過去にも一度もしたことがなかったのに。私に何があったと言うのか。攘夷組織できっと“何か”が転機があり私は髪を黒く染めたのだろう。
元の色に戻しても良かったのだけど、黒色であることに何か意味があるような気がして、伸びた分だけ染め直すことを繰り返していた。だから私の髪はまだ黒い。


「着物にも映えますからね」
「まっ、悪かねーけど。そろそろ本当のちゃんにも会いたいなーなんて」
「うーん。銀さんがそうおっしゃるなら戻そうかしら」
「そん時は俺が梳いてやっからな。神楽には内緒だぜ。アイツ絶対“私やるアル”って聞きやしねーだろ」


確かにそうだ。神楽ちゃんならきっと櫛を離しはしないだろう。彼女も普段はお団子に纏めているけれど、留めている髪を解いたらとても長い。サーモンピンクの綺麗な色をしている。まずは銀さんに梳いてもらって……次は神楽ちゃんに梳いてもらうのも悪くないかも。


「お、そうだ。例の変なウイルス騒動で会ったマダオいただろ?」
「長谷川さんですか?」
「そーそー。フリーター繰り返してたらしいけど、どーやら定職に就いたらしいぜ」
「まあ!それはおめでたいじゃないですか。今度、万事屋でお祝いしましょうか」


何事もなく続いたらなと銀さんは笑っていた。銀さんも風の噂で話を聞いただけで詳細はわからないらしいけれど。かぶき町で、スーツ姿で歩いていたとの目撃情報もあったようだ。すごいな。世の中、何がどう運ぶかはわからないものだ。しかしまあ他人の幸せは喜ぶに越したことはない。

「長谷川さんどんなお仕事に就いたのでしょうね」
「あー何だ。嫌な予感がしなくもねーがな」
「そんな……不吉なこと言わないで下さいよ」
「冗談だって。ほらよ。銀さんからの特別サービスだから」

そう言いながら彼は細いスプーンの先で掬ったパフェを私の前に差し出した。生クリームとバニラアイスの白にイチゴソースの赤色が際立っている。

「ほら。早くしねーと俺食っちゃうから」

言いながら先端をくるりと小さく回す。このまま私が食べるのだろうか?


「あーんして。ほらあーんだって」


急かすような声。そんな……もう子供じゃないのに。羞恥もあったが、銀さんにお願いされるのも悪くないかも、なんて思ってしまう自分がいる。周囲のお客さんは皆自分たちのテーブルの話に夢中、或いは静かに本を読んでいる。誰も見てないならいいか。

目と鼻の先で動くスプーンを見ながら私は閉ざしていた口を開く。しかしそれ以上は進まず、自分から食べることはしない。絵のように止まったままの私たち。やがて先に折れた銀さんは、私の開いた口にスプーンの先を入れた。わざとだろうか……私の唇に大袈裟に付いたソースとクリームの塊。それを彼は自らの指で掬いペロリと舐めた。

「ったく、お嬢様サマサマなこった。銀さんがに甘いのをいい事に。もー許すよ!許しちゃうけど!」

私の記憶が戻ったら、彼は私に説教すると決めているらしい。拗ねているのか何なのかわからないけれど、聞こえないような小さい声でブツブツと何かを呟いている。


「はい次、銀さんに“あーん”の番だから」


そう言ってスプーンが刺さったパフェの容器を差し出す。
私は突き刺さっていたフルーツごとこんもりと中身をすくい取り、“あーん”と開いたままの彼の口に放り込んだ。あ、少し多かったかな。唇どころか鼻先にまでクリームが付いてしまっているけれど。モゴモゴと銀さんが口に入った分のパフェを必死に咀嚼しているのがわかる。

「ふふ……」

そう笑って、私は人差し指と中指、薬指をそれぞれ使って彼の口周りに付いたクリームをすくい取った。そうして彼がしたのと同じようにペロッと舐める。甘くて美味しい。


「この時間がずっと続いたらいいのに。失った記憶も……思い出さないほうが幸せなのかも」
「良いこと悪いこと、思い出そうが忘れていよーがだ。どんなお前だって俺ら万事屋は受け入れるからよ」
「説教は、お手柔らかにお願いしますね」


そう言って銀さんのパフェに乗ったイチゴを口に含んだ。


バレンタイン話は割愛。そしてもうこれ銀夢では……?なんて展開です。
20210630*星宮はちこ   裏語