レプリカ虚像乙女
【第十章、動乱 九十三話、内部闘争】


<山崎退の見た世界>

 数カ月前から真選組に僅かに歪みが生じていた。
 いや違う。一年ほど前にある隊士が入隊してからだろうか。その小さな出来事がいずれ罅になり、やがて周囲に歪みまで生じさせていると言うのが正しいのかもしれない。正式入隊が決まって警察庁からお触れが出された日のことは、疾うに覚えてはいない。ただ今度逸材が入隊するからとだけ伝えられたような気がする。

 男の名は、伊東鴨太郎。

 地方出身でその地域では中の上ほどの家だったらしい。幼き頃から学術と剣術の才能が開花した。その才を見越して、剣術道場の薦めで江戸の名門に移ったと言う。学術、剣術、そして顔の広さ……いわゆるエリート。いずれ幕府の役人か、警察組織に入るだろうことは想像に易い。
 初めて会ったのは真選組屯所の広間だった。

「彼が伊東鴨太郎君だ」

 局長が笑った。第一印象は優等生。明るい髪は短く切り揃えられ、かと言って刈り上げられているわけでもない。お洒落な眼鏡の下には、スッとした切れ長の眼。眼光は力強い。優等生ながら芋臭くはなく育ちの良さを感じさせた。男くさくて無骨な真選組とは、また違う色だ。
彼と、彼の同門の数人が入隊してから一月ほどを屯所で過ごす。正式に所属部隊が決まるまでは、共に生活しながら隊の巡察に付いて行き、江戸市中を見回る。兼ねてよりある攘夷組織が活発にテロ行為を起こしていたからだ。普通ならそのままどこかの隊に所属するか、あるいはいきなり隊長を任せられる程に出世するのだろう。だが伊東は違った。
 伊東と彼の同門出身隊士数名は江戸から離れることになったのだ。北斗一刀流のコネを使い新たな隊士を募る巡業になると言う。情報収集も兼ねたそれは数カ月に渡り続くらしい。合間合間に屯所に顔を出すこともあるから、ちゃんと覚えておけと言った局長の笑顔。伊東が真選組屯所を出発するその日に、彼には「参謀」と言う役職が与えられた。

 名こそ時折会話に混ざる事があれど、そう多くはない。伊東が屯所を離れてから入隊した隊士も増えてきた。彼らは書類に書かれた名前を見ることはあっても直接会ったことすらないのだから。
 参謀からの報告は随時、真選組の会合で伝えられた。隊長から口頭で各隊士に伝わるのは実に早い。隊長格にだけ口止めされている内容もあるらしい。新しく隊士が何人加わる予定だとか、地方の有力者と会合をしたとか、攘夷浪士の動きとか。今までも真選組は地道にではあるがそういった活動を行ってきた。対外的なこと全般。主に副長の土方が中心となり、時に局長の名で、時に近い隊士の協力もあって。だが伊東が対外的な……渉外活動を行うようになってから、事が早く進むようになったと言っても過言ではない。参謀の存在感が真選組の中で大きくなっていく。
 やがて周囲の根回しが利いてきたのか、警察庁の働きもあって幕府側に直接意見を申し立てる場を設けるに至った。その話が会議の話題に上がった時、近藤局長は堂々と言った。


「幕府側と直接会合など以前の俺らでは考えられなかった! だが先生がいれば安泰だ! 先生なら必ずやってくれる! 皆も応援してくれ!」
「……だそうだ」


 隣にいる副長はいつも通り冷静だった。
 幕府側と真選組参謀の交渉は上手くいっているらしい。状況は会議、並びに酒の席(伊東は勿論いない)で悠々と語られる。局長はいつも通り豪快で、副長はいつも通り冷静。やがて警察庁を通じて最新鋭の武器や備品等が屯所に届くようになる。それは長きに亘った参謀の遠征活動が終わり、屯所に戻ってくることを告げていた。

 参謀帰陣の祝宴はいつも通り、伊東の独壇場になる。

 隊士もこの光景は見慣れたものになった。兼ねてより各地を回っていた伊東と同門の者数名は、月に一度あるいは二度程屯所に顔を出しに来ていた。彼から直接報告を受けた後は隊長級の会議、そして宴会になるのが定番の流れ。宴会の席では毎度、伊東によるご高説が続く。二次会(形だけだが仕事という枠を払って誰かの部屋にて行われる)には、皆酔いが周りどんちゃん騒ぎになってしまうのだが。その時になると、伊東は周りのテンションについていけてない様子ではあった。それはまた育ちの良さなのだろうか。
 そんな日々が続くと、伊東の高らかな演説はもう宴会の定番として隊士が認識するのに時間は掛からない。

 真選組に歪みを感じたのはそんな日々の合間だった。どこかしらから流れてきたのは耳を疑うようなもの。正直、真選組隊士が攘夷浪士に襲われるのは今に始まったことではない。最近は単独行動を行う隊士が襲撃を受ける事件が多くなってきているのもの事実だが。真選組の鬼の副長ともなれば、面は既に割れていると考えるのが自然だ。そして副長が攘夷浪士に襲われるのもまた自然の流れだろうか。いつもなら返り討ちにして終わり。なのにあの時は違った。

 泣いて土下座しながら助けを乞うた。

 たまたま近くを巡察していた伊東に助けられたらしい。その噂話が風のような速さで隊士間に広まったのは言うまでもない。以降、副長の目を疑うような局中法度違反が次々と目撃されるようになる。一つでも背けば即切腹の厳しい掟。それを作った副長自身の違反。局長の説得で処罰されない事に不満を持つ者も少なくはない。主に、伊東と共に行動している者のようだが。

 鬼の副長がおかしくなった。

 そう感じた。それ以外には考えられない。そう思いたくはない。だが何がどうしてこうなったのかはわからない。皆目検討がつかなかった。いつから副長が変わってしまったのか。
 そして、その時は唐突にやってきた。ある重要な会議で時間になっても副長は現れなかったのだ。時間に厳しいあの土方十四郎が、である。やがて現れた様子のおかしい副長に伊東が数多の違反を申し立てる。会議が紛糾した。その場で副長の切腹を主張したらしいのだが、彼以外の説得もあり無期限の謹慎処分に止まる。事実上の更迭である。以降、屯所内では伊東派の隊士が幅を利かせるようになった。

 副長のことが気がかりだった。

 以前に一度、あの人の本音を聞いたことがある。本音というかただの呟きだったのかもしれないけれど。煙草を吸いながらポツリと零した声は、俺の知る副長そのものの言葉だった。



「山崎……伊東の件、頼んだぞ」



 他に何を言われたわけでもない。ただそれだけ。だが、それが何を意味しているのかわからないわけでもない。
 副長は伊東鴨太郎の事を……疑っていた。局長以上の振る舞いをし、異例の速さで出世。男にとって目障りな位置にいる土方十四郎という存在。あの男が現状に満足していない事も彼は知っていた。だから疑うというよりは、目的が何なのか……真選組で何がしたいのか、存在を危険視していたというのが正しいのかもしれない。その言葉を伝えられてから数日後、副長は謹慎のため屯所から離れてしまう。

 以降、いつも通りの生活をしながらも、山崎は男の動向を監視することになる。それは自発的にだ。潜入捜査でも何でもない。自分が屯所をうろつく事自体何らおかしいことはない。生まれた時からの圧倒的な地味さ。監察方で培った能力も相まって、伊東の周囲を探っていても怪しまれることはなかった。
伊東は今、道場の端……縁側にいる。パンくずを野良猫に与えているらしい。さっき沖田隊長が道場に入ってからは彼と何かを話している。この位置(道場の外)からだと小声で話されると聞き取るのは難しい。近づきたいが気付かれるだろう。

 “望みは何かね?”伊東が尋ねた。

 すると沖田さんが副長の座を要求した。……これはまあいつものことだ。そこは目を瞑ろう。今大切なのは伊東の目的についてなのだから。沖田が彼のいる廊下側の出口に近づいてくるので咄嗟に身を隠す。伊東と同門の、彼の部下で補佐をしている篠原が伊東に近づき小声で会話し始めた。だからこの位置だと聞き取れないのが悔しい。壁に背を当てて音に集中する。

 何でもいい。何でもいいから……あの男の目的を!

 やがて男は立ち上がった。力強い声は静かな部屋によく通る。緊張なんてらしくない。でも自分の心音が聞こえてくるのは気のせいではない。




「近藤勲を暗殺し、真選組を我がものにする」




 その言葉は待ち望んでいた何よりも恐ろしく、それでいて伊東の目的を端的に表したものだった。いつの間にか心音さえ気にならなくなっていた。

 あの男……やはり……。副長にこの事実を知らせなければ!

 引き戸から男の背中を垣間見る。参謀の名のままに、奴、伊東鴨太郎が全てを仕組んだのだ。副長の更迭も隊士の引き抜きも。そしてこれから局長の暗殺を計画している事も。そうだと分かれば全ての辻褄が合う。早く副長に知らせなければならない。見ていた背中が揺らいだ。ゆっくりと伊東が振り返り、俺と目が合った。

 しまった!

 伊東も相当の手練れなのは疑いのない事実。自身を嗅ぎ回る存在に気がついていたらしい。慌てて身を翻すも風を切る音。途端に腕に痛みが走った。廊下には血のついた短刀が転がっている。腕を押さえながらも足は止めない。止められない。周囲は奴の仲間ばかりか。誰が敵で誰が味方かすらわからない。今自分がすべき事は屯所から離れること。副長に真実を伝えること。なりふり構わず走り続ける。
 真選組屯所の敷地はとても広く、道を選ばなければ誰にも会わずに外に抜け出す事も可能だ。早く副長に知らせなければ。息を切らしながら必死に走った。敷地の奥側は林のように木々が植わっている。ここを抜ければ裏道に通じているのだ。
 小刻みに草葉が揺れた音がした刹那、目の前を影が遮る。そして次に認識した事実は、手配書で見覚えのある攘夷浪士……鬼兵隊所属の河上万斉の刃が自身の胸を貫いている事だった。


動乱編。ジミィー視点のやつ。夢主は出てきません。
20230701*星宮はちこ   裏語