レプリカ虚像乙女
【第十章、動乱 九十四話、打算】
鉄子さんが語った妖刀にまつわる伝説の真相はとても悍しいものだった。想像するだけで恐ろしい……母親に殺された息子の怨念。
なぜ母が実子を殺さなければならなかったのか。どうして。受けた衝撃の大きさから、その後聞こえた新八くんの叫びも鉄子さんの小さな声も耳が掬いとる事はなかった。
「だが贋作も多い刀だ」
唯一残った可能性に顔を上げる。もしこの刀が贋作だったならば……そう思わずにはいられない。そうであるなら土方さんは意識障害を発症してしまったのだろう。きっとそう。そうだと思いたい。病院での診断と早急な治療が必要だ。しかし残酷にも“もし本物ならば”の可能性も拭いきれない。だって、だって……現実に私たちの目の前にいる土方さんは、私の知る彼と同一人物とは到底思えないのだから。
いつもは呪いなどのオカルト要素は信じない主義なのに、今は動揺が大きくて思考が冷静に働いていなかった。
「鉄子さん。この刀が正真正銘の村麻紗かどうかの真偽鑑定はできませんか?」
「伝説は伝説。確かめる術はないさ」
「そんなっ!?」
肩を落とした瞬間にどこからか風に乗って煙草の匂いがした。この匂いを私は知っている。これは勿論土方さんの……。恐る恐る後ろを振り向くと煙草の煙を深々と吸う見慣れた姿がそこにあった。
「土方さん?」
確信はなかった。でも今私の目の前にいるのは、私の知る土方十四郎その人だ。きっと……いや絶対、間違いない。芯の通った眼差しを見紛うはずがない。
「お前、ひょっとして……」
銀さんも“それ”に気づいたらしい。肝心の土方さんは尋常じゃないほどの汗をかいているではないか。
体調が悪い? どこかが痛い?
見ただけでは判断できない。手短に前置きを述べた上で土方十四郎は一つの願いを残したのだった。その言葉を言い切った後で、ゆっくりと上半身が傾いて前に倒れ込みそうになった。慌てて手を伸ばしてどうにか抱える。私一人の力ではそのまま一緒に倒れてしまいそうだったのだが新八くんが支えてくれた。彼の手から落ちた巻き煙草が煙を上げて転がっていく。肩を揺すりながら名前を呼んでも反応はない。意識を失っている状態だろう。
「!」
入れ替わるかのように次に目蓋が開いた時には、私たちの視線はバッチリと交わった。しかし恐ろしい速さで途端に逸れたのである。これは、さっきまでのおかしくなった土方さんそのもの。私は困惑した。やがて振り解くように肩を支えていた手が離された。逃げる様にズリズリと距離が離れていく。
「ったく、めんどくセーな。とりあえず一旦帰るぞ」
「「了解アル/です」」
邪魔したな、また来るわ……そう鉄子さんに手を振ったまま銀時の背が遠ざかる。新八と神楽もその背を追った。妖刀という事実は判明したけれど具体的な解決方法はわからなかった。私も帰らなくては。
「行きますよ」
鉄子に礼を言いながら頭を下げ、地べたに膝を付けたままの土方に向き合う。やがておずおずと立ち上がった男がひたひたと歩き始める。男が戸口から出るのを見計って
も歩き出した。
*****
村田鉄子の営む鍛冶屋から万事屋までの道のりはそう長くはない。なのに帰りはどうも足取りが重く、行きよりもずっと時間がかかった気がした。先頭を銀さんと新八くん、その後ろを土方さん、最後を私と神楽ちゃんが連なる。
ふと神楽ちゃんが私の顔を覗きこんだ。
「
。顔色悪いアル」
「大丈夫」
「気分転換にはなったアルか」
「うん。外は気持ち良いもの」
二人見合いながらニコニコと笑った。神楽ちゃんはかわいいなあ、と感じる度に心が明るさを取り戻していくような気がした。先頭の二人は何やら真面目な話をしているようだ。背中が全てを語っている。
妖刀。呪い。
一見信じ難い内容であるが、目の前の土方の有様を見てしまえば口を閉ざすしかないだろう。無音になった我々。最初に口を開いたのは、ボソボソと癖のある声だった。
「あのォ〜坂田氏! 悪いんだが、実は今日……」
その先に続くお願いに、私はもう耳を閉ざした。いよいよ心までも閉じてしまいそうだ。彼のお願いを聞いた三人は怒りと諦めで、力任せに足蹴りを食らわせている。本当ならば暴挙を止めないといけないのだろう。なのに心さえも閉ざしかけた私にはその力はない。こんな土方さん……土方さんじゃない。辛くて、苦しくて。目元が熱くなった。
すると、後ろで劈くようなブレーキ音と共に車が止まった気配がしたと思ったら、「副長ォ」と荒々しく呼び立てる声が響く。私は胸元から取り出したハンカチを目に押し当て、平常心を装うと何事だろうかと静かに向き合った。これは警察車両だ。それも真選組のマークが大きく描かれている。バタバタと出てきた真選組隊士は四人全員。隊服からしても一般隊士だった。
今すぐ隊に戻ってください。
男達はまくし立てるように次々に言葉をかけた。彼らの様子はただ事ではないのは一目瞭然だ。外野はまだ状況が理解できない。
の中で嫌な胸騒ぎが消えなかった。何事かと新八が聞き返す。
「山崎さんが……山崎さんが! 何者かに殺害されました!!!」
「…っ!!???」
声にならない声を上げて全身がビクリと反応した。手の震えが止まらない。衝撃で、持っていたハンカチを落としてしまいそうだった。
山崎さんが……殺された……? なぜ……どうして……誰に……。
その後に皆と真選組の隊士が何を話していたのか、気が動転していた私には聞き取ることが出来ない。さっきから手の震えが治らない。呼吸も荒くなってきた気がする。とても苦しい。
「
!!!」
必死に私を呼ぶ声がして、顔を上げた途端に視界がぐるりと回転した。何が起こっているのかわからない。感じたのはお腹に回った手の感覚……よくよく見てみると神楽ちゃんが私を抱え上げていた。少し前を行く銀さんは、土方さんの襟裏をがっしりと掴んで地面を引きづっていて、その隣には新八くんがいる。後ろに止まっていたはずの警察車両がどんどんと遠ざかっていくのが見えた。私たちはいつの間にか細い路地を進んでいたのである。
「何なの!? 神楽ちゃん! 銀さんも! 新八くん!!」
「ヤバいアル。彼奴らトッシー殺そうとしてたネ!!」
「どうして真選組が土方さんを!?」
状況がわからない。言われた言葉の意味がわからなくて頭が混乱していた。真選組の隊士が土方さんに刀を向けた理由も、何やかんや追われている今の状況も。説明されてもちょっとやそっとじゃ把握なんてできないだろう。
「!?」
すると突如目の前に黒い影が現れた。まっすぐ進むしかない進路を別の警察車両が塞いだのだ。それも通せんぼするわけではなく、狭い路地の左右に置かれたゴミや物をなぎ倒しながらこちらへと向かってくるのである。このままなら全員轢き殺される。嫌だ。こんなところで死にたくなんかない。強く目を閉ざした私に再び浮遊感が襲う。
もうどうなっているの!
何かが破壊されるような大きな音。そして誰かに抱き留められたのもまた感覚だった。目蓋を一思いに開くと銀さんの横顔が視界一杯に映っている。
「ちょっと待ってろ」
地面に両足が着いたのを見計って銀さんが離れていく。しかしすっかり腰が抜けていた私はスルスルとその場に座り込む形になった。こちらに猛進していた警察車両をまさかの両手で押さえつけているのは自分よりも幼い神楽の両手だった。
「ふんがァァァァァァ!!」
「神楽ちゃん!?」
頑丈だろう車両前方はまるでアコーディオンのように波打ちながら潰れている。先ほどこの路地に侵入してきた車両は、徐行と呼べるようなスピードではなかったはずだ。それも明らかに殺意が感じられた。数十キロの加速と考えてもそれを押さえる力量……神楽ちゃん何者なの。
土方もどうやらこの状況に混乱しているらしい。早口で何かを叫んでいるが聞き取れない。ジリジリと押される神楽の応援とばかりに、腰元の木刀に手を伸ばしながら向かって行く銀時の背中はとても頼もしい。ボンネットを飛び上がった男が木刀を振り切ると、頑丈なフロントガラスが粉々になった。
目の前でどうにか止まった車両に男はそのまま乗り込み、気絶した運転手を放り出した。完全に車両が止めずに神楽と新八がそれぞれ助手席と後部座席に乗り込んだ。後ろの扉はブラブラと開いたままだった。
「
! 早く乗れ!!!」
「土方さんもさあ!!」
「……っ!!!!」
立ち上がらなければならない。この場所でへっぴり腰のまま座ってなんていられない。私はよろよろと起き上がると、斜め前に立ち尽くす土方さんの胴体にタックルをかけるかのように勢いをつけてぶつかった。そのまま二人倒れ込むように車の後部座席へと倒れ込む。どこかに頭や体をぶつけたらしく痛みを感じるけれど気にしてなんていられない。
ハンドルを握りながらも助手席との間から伸びてきた掌が私の着物を掴んで引っ張ってくれた。土方さんは新八くんが引き込んでいる。アクセルを踏み込んだのだろう、我々が乗り込んだのを見計って急に速度が上がっていく。
来た道を戻る。その先には土方さんを襲った隊士が乗っていた車両。ぶつかる……そう思った時には遅かった。警察車両の周囲に立ち尽くしていた隊士も巻き込んで、金属の塊は吹き飛んでいった。いつもなら冷静に救急車を呼んでいるのだろう。しかしこの容赦ない展開に、頭も心も混乱した私にはそんな余裕はなかった。今は息をしながら前を見るので精一杯だ。
銀さんが前方に置かれたマイクを取り上げると、どこかに無線が繋がったらしい。そのまま銀さんと神楽ちゃんが向こう側の誰かと話している。私は呼吸を整えながら前を見るにとどまった。無線の向こう側にいる隊士が淡々と指令を出し始めた。私は心臓が止まりそうになりながらも黙ってそれを聞くしかない。
真選組局長、近藤勲暗殺計画。
それに伴う土方十四郎の殺害。この計画は真選組を乗っ取るという恐ろしいもの。伊東という人の名が度々上がってくる。近藤勲は現在、武州に向かう列車の中にいるらしい。それも彼の周囲には暗殺を企てている側の隊士しかいない。
聞こえてくる言葉の数々に意識が飛びそうになる。呼吸も乱れて落ち着かない。心臓がバクバクと音を立てて耳まで響いてくる。極度の緊張状態からか、私は私たちが乗る警察車両が見慣れた道を走っていることに気づかなかった。
「土方さん!! しっかりして下さい」新八が声を張って土方に詰め寄っている。でも未だ混乱した
の耳には届かない。
近藤さんが殺される。土方さんも狙われている。山崎さんは……殺された。
そんな。そんな、どうして真選組が仲間割れを起こしているのか。伊東という名前の人なんて私は知らない。一体何者なのだろう。混乱した頭に銀さんのマイクに向けた怒号が響いた。ふと突然、私の意識の中に冷静さが少しづつ戻ってきたような気がした。銀さんはそのまま土方さんの胸倉を掴み怒りを顕にしている。ハンドルを握り運転していた彼だが、その手を離した途端に車が大きく揺れる。慌てて掴んだのはまさかの神楽ちゃんだった。心に余裕も何もない私は、彼女が未成年で無免許であることを指摘することはできなかった。
ここから物語は動き出します。
20231104*星宮はちこ 裏語