レプリカ虚像乙女
【第十章、動乱 九十五話、万事屋】
銀時は力の限り叫んだ。後部座席で怯えた土方の胸倉を乱暴に掴みながら。懇願のようで、それでいて自らをも納得させるような叫びだった。それはきっと土方だけではなく、
の心をも奮わせるのに十分だった。
土方の胸倉に伸びた手を別の手が掴み取る。指が肉に食い込み色が変わっているのがわかるほど強い。そのただ事ではない様子に銀時本人も気づいたらしい。
「ってーな」
土方の声音が変わった。
「痛ェって、言ってんだろーがァァァ!!!!!」
「きゃあァァァァァァ!! 銀さん!!!!?」
目の前で唐突に起こった事件に
は叫んだ。土方の雄々しい右手が銀時の額を掴み、そのまま無線機が取り付けられたセンターコンソール部分に頭部を押し込んだのだから。粉々になった部品が周囲に散乱している。食い込んだ銀時の頭、特に後頭部は無事だろうか。心配なのに不安と恐怖で声が出ない。
「痛ェのはこっちの台詞だバカヤロー!! ったく、よーやくお目覚めかよ」
両手を放り出して寝そべったままの銀時の呟きは、いつにも増して気だるさを感じさせる。前の土方を見据えたまま運転席に座っている神楽の名を呼んだ。一体何をしようというのか。これからの展開が読めなくて
も息を飲んだ。
「止まれぇぇぇぇぇぇ!」
「りょーかいアル!!!」
ーキィィィ と、劈くようなブレーキ音と共に車体が急停止した。慣性の法則に倣い、シートベルトをしていない面々は前方あるいは座席の背もたれに押しつけられた。それには勿論
も含まれている。そこそこの事故といえばそうだろう。打ち付けた額と鼻先が痛い。
「
、降りろ! 悪ぃーがシンデレラは万事屋待機頼む。継母に乗っ取られた舞踏会にヘタレ王子……でもねーか、へタレ副長送り届けてくっから!!」
「銀さん、お願い私を置いていかないで!」
「大丈夫だ。約束しただろ。魔法だか呪いだか全部戻して、鐘が鳴るまでに万事屋に帰るからよ」
そう言って銀さんは握り拳の小指を立てて翳した。これは指切りの合図だ。
「(約束……)」
いつか私が口にした言葉が再び脳裏に過る。信頼しているからこそ約束は成り立つものだ。
「(……わかったわ)」
応じるように私も小指を突き出した。大丈夫。万事屋の皆なら大丈夫。私がいれば彼らはこの先満足に動けないかもしれない。状況に応じて一歩身を引くことも大切だ。
「必ず帰ってきて下さい!」
「わーってる。前に縫ってた真選組の服はあるか?」
「え? ええ」
警察車両を飛び出した先は万事屋の建物の目の前だった。いつの間にかここまで戻って来ていたのだろう。
は慌てて階段に向かい、全力で階段を駆け上がる。フラフラな足取りは手摺りを握って支えるしかない。
鍵を開き万事屋に駆け込む。行儀の悪さなんて考えもせず、履き物を乱暴に脱ぎ捨てて部屋に一直線だ。
以前からお手伝いしている真選組の隊服の補修作業。その件で何着か預かっている隊服があった。今の分は縫い終わり引き渡すだけだった。丁寧に風呂敷に包まれている。結び目を鷲掴んで再び玄関に戻った
は、履き物も履かずに二階から下にいる新八目掛けて投げ落とす。難なくキャッチした新八がサムズアップで応えた。
車内から顔を覗かせた銀さんが彼らが帰ってくるまでの決まりを告げた。
必ず玄関の鍵をかけること。
訪問者、集金、勧誘、すべて無視して居留守をすること。
何か問題が生じれば、全力で新八の実家に駆け込むこと。
最後にもう一度、彼は約束の合図を出した。運転席側から顔を覗かせた神楽ちゃんからは今晩の夕飯のリクエストがなされた。
「必ず帰ってきてくださいね!」
これは私から万事屋の皆への約束だ。それを聞き届け各々が頷くと警察車両は走り出した。どんどんスピードを上げてあっという間に小さくなっていく。彼らが向かうのは……近藤さんが乗っているという武州行きの列車だろう。警察車両が全速力で進んでもすぐに彼らの元にはたどり着かないだろう。速度や道路状況を加味しても数時間はかかる、はずだ。それでも今は進むしかない。
最後に見た土方さんは私の知る土方さんだった。呪いが解けて、本当の彼が戻ってきたのなら大丈夫。あとは万事屋の皆が上手くやってくれる。
私は刀も振れないし銃も扱えない。さらに優れた体術を扱えるわけでもないし、皆が驚くような怪力があるわけでもない。彼らが向かう戦場では何も役に立たない。今はここで彼らを待ち続けるしかない。それが私の戦いなのだろう。
深呼吸を繰り返して少し正気を取り戻してた私は玄関に入った。約束通り、厳重とは言えないかもしれないが鍵をかけるのを忘れない。居間に続く見慣れた廊下がシンと静まり返っていて不気味に感じる。放り出していた草履を整えると玄関に一組しかない履き物が嫌に目に留まって離れない。
早く四つ揃えばいいのに。皆が無事に帰ってくればいいのに。
暗い思考を振り払いそのまま廊下の奥にある居間に閉じこもると、ソファーの上に座り込む。ドクンドクンと己の心音が脳内に響いてきているようだ。
真選組には大きな危機が迫っている。
近藤さんは無事なのだろうか。皆すぐに戻ってくるだろうか。あるいは日が暮れるまでかかるのだろうか。土方さんは元に戻ったのだろうか。山崎さんは……優しかった山崎さんは、もう。
情報があふれていて胸が押しつぶされそうだ。
寂しくなって……子供みたいに膝を抱えた。
あのまま私が“家”にいたのなら、この姿を見て二人に御行儀が悪いと怒られるのだろう。あのまま真選組屯所にいたのなら、なんだかんだ皆が傍にいてくれて、山崎さんは死なずに済んだのだろう。万事屋が今日外に出なかったら……誰とも会わずに穏やかに一日が終わっていたのだろう。
でもきっと私達ならどうしようとも回避できず、面倒ごとに巻き込まれているはず。ならきっとこうなることは必然なのかもしれない。
どうか私の万事屋と真選組の皆が無事戻ってきますように。
指を組みながら神に祈った。
あの時警察車両の無線で拾った伊東という名前は私には覚えがない。真選組の隊長格ならば一応知らない人はいないはずなのに。私がいた時から真選組は人の入れ替わりが激しかった。特に新入隊士は月に数名づつ増えていたように思う。ならその中に今回の謀反を起こした人物がいたのかもしれない。
ふと、いつぞやの買い物の帰りに会った人の顔が浮かんだ。あの人もそういえば知らない人だった。服は隊長格のもの。若くて背が高く眼鏡をかけていて、短髪で明るい色だった。でもそれ以上は何もわからない。まさかその人が……それも可能性でしかない。
静かで寂しい部屋で
は息を殺していた。すると……
「クゥーン」
部屋の奥から寂し気な鳴き声か響いてきたのである。慌てて振り向くと白く大きな存在が目に留まった。
「定春……」
「ワン」
私が名前を呼ぶと定春が目をキラキラと輝かせて傍に寄って来てくれた。大きくて温かくてモフモフとした存在は、一人ぼっちで寂しかった私にとって正しく救世主である。両手を広げて抱え込むと途端に安心した。やはり生き物ってすばらしいと感じる。
「ありがとう。あなたがいてくれてよかったわ」
「ワン!」
「銀さんと新八くんと神楽ちゃん、皆頑張っているから……私も頑張らないと」
私も。そう言葉を発した途端に、今まで我慢していた感情が抑えきれなくなってしまった。恐怖、不安、焦燥。止めどなく大粒の涙が溢れて定春の背中を濡らした。
「ごめんね定春。汚しちゃってごめんね」
口では何とでも言えるのに肝心の涙は止まらない。着物の袖で乱暴に拭って嗚咽を繰り返す。本当は皆が返ってくるのを静かに待たなくてはいけないのだろう。声を出せば誰かに見つかって殺されるかもしれない。三人は命の危険を顧みず、己の信念と共に戦いに興じているというのに。自分の無力さが身に染みてい嫌になった。
すると体を預けていた定春が動き、私の顔に自らの顔を近づけてペロリと頬を舐めた。
「慰めてくれるのね」
「ワン」
「そうね。私も定春も万事屋の一員だもの。一人じゃないわ」
そのままペロペロと舐められて私の心も落ち着いてきた気がした。寝そべった定春に体を預けていると心地よい。ボーっと思考が鈍ってきたと思ったらどこからか眠気がやってくる。
…
‥
ビクンと体が強張った拍子に
は目覚めた。
軽く意識が飛んでいた。どうやら定春と共に眠ってしまっていたらしい。あれからどれほど時間が立ったのだろう。窓越しにはもう日が暮れてしまったのがわかる。銀さんと新八くんに神楽ちゃんは、もうそろそろ戻ってくるだろうか。土方さんは例の呪いから解放されたのだろうか。晩ご飯……何にしよう。確か、神楽ちゃんが何かリクエストしてくれていたはずなのに思い出せない。あの時はきっと相当興奮していたのだろう。料理名はカタカナだったような気がする。冷蔵庫の中に何が入っているかを思い出してみるも浮かばない。買い物にも行けないので今あるもので何とかしないといけないのに。確か何かが冷蔵庫に入っていると思う。確認すれば終わるはずなのに動いて確認する元気もなかった。
未だ万事屋の皆が返ってくる気配はない。
「(あ、オムライスだ)」
突如、思い出せないでいた神楽ちゃんのリクエストが脳裏に浮かぶ。米と鶏肉と玉ねぎと卵、そしてケチャップ。
重い体を起こして私は台所に向かう。動きたくないのは事実だが、私よりもへとへとになって帰ってくる三人を思えばどうってことない。リクエストに応えて美味しい晩御飯で出迎えてあげたいところだ。冷凍庫の中には特売で買った鶏肉とみじん切りの玉ねぎが保存されていた。米は今から炊くとして、卵が一パック分しか残っていない。
神楽ちゃんのオムライスには卵六個は必要だ。銀さんと新八くんの分を数えても足りないし、何なら明日の朝ごはんで卵かけご飯をするなら、あと二パックは置いておきたい。
「(買い物には行けないわね)」
消費の多い卵の常備は欠かせないが今日ばかりは怠っていた。いや違う。本当ならば帰りに五人(土方さんも)でスーパーに行って、特売の卵を人数分購入しようとしていた。なのに騒動に巻き込まれて、予定は大幅に狂ってしまった。これからどうなるのかもわからない。
「ワン!」
「ん?」
定春の鳴き声がして顔を上げる。彼はいつも買い物に行くときに持っていく籠状の鞄を咥えていた。
「ごめんね。私は一人で買い物に行けないの。残り物で何とかするしかなさそうね。さあ籠を置いて」
手を差し伸べても定春は顔を逸らして遠ざけるばかり。鞄を返してくれる気はないらしい。これはどうしたものか。鞄をおもちゃとして遊んでもらいたいのだろうか。だが定春は静かに座って待っている。
「まさかお遣いに行ってくれるの?」
私がそういうと、言葉がわかるのかどうかは定かではないが彼は鞄を咥えたままコクンと頷いた。確かに定春は普通の犬よりもずっとずっと賢いし、時々、我々の言葉がわかっているかのようにふるまう。行動が制限される前は、散歩中の神楽ちゃんと出会ったときに三人(二人と一匹)でそのままスーパーに行った事もある。もしかすればスーパーの場所も覚えているかもしれない。
メモ用の裏紙を取り出して、「店員さんへ お遣いをしています。卵十個入り二パック、出来るだけ安いものを下さい。レシートもお願いします」と書いた。特売品は売り切れているだろうから、残っているだろう卵の値段を考えてお金を封筒に入れる。
「定春。二十四時間営業の大江戸スーパー覚えてる? 店員さんに籠を渡して卵を買ってきてくれる?」
尻尾を振って定春は頷いた。籠を咥えたままだから鳴き声は出せないけれど、これは彼なりの肯定だろう。本当に賢い子。全身を撫でまわして褒めた。
「きっとみんなも帰ってくるわ。そうしたら美味しい晩御飯にしましょう」
月明かりが差し込んでくる玄関から外を窺う。中心街ではないが、飲み屋の多いかぶき町だけあって人通りはそこそこだ。一見しても怪しい人はいないようにも思えるが確信はない。
「鍵を閉めているけど、定春の影が見えたらすぐに開けるわ」
賢い定春はその言葉も理解しているようで、静かに玄関を出ていった。迷うことも振り返ることもなく階段を下りていく背中は逞しい。白い毛並みが見えなくなった所で私も扉を閉めて、鍵をかけた。
気にしてはいなかったけれど、時間はとっくに深夜を回り、日付も変わっているらしい。三人からは音沙汰もない。せめて、今から帰ると電話があってもおかしくはないだろうに。いつ電話がかかってきてもすぐに出れるように、私は銀さんの椅子に腰かけた。ソファーにいるとまた寝てしまいそうで、定春くんを締め出しかねない。
定春がお遣いに出て少し経った時だった。玄関の方から、ガタガタと戸を揺らすような音を拾ったのだ。定春が戻って来るには少し早い気もするが、皆が先に帰って来た可能性もある。何度も壊れて建付けが悪くなっているので風で揺れただけかもしれないが、音の発生源が何なのかは確認しておきたい。もし帰ってきた定春だったら直ぐに入れてあげなくては。
椅子から起き上がるとよろよろと居間を抜け出る。廊下からは磨りガラスの玄関が丸見えだった。今日は月明かりに照らされて外の様子が映り込んでくる。そこに人影も定春の影もない。やはり風でも吹いたのだろう。そう答えを導き出して、居間に戻るために背を向けた時だった。
ーバァァン
後ろから物が壊れる酷く嫌な音がする。肩を揺らしながら慌てて振り向くと玄関戸が内側に倒れ込んでいた。今まで見えていなかった人が立っていた。薄暗い室内に伸びた影。
艶やかな柄の着物。黒い羽織り。左目を覆う包帯。
前に会った私を追っている攘夷組織の人。その姿を捉えた途端に全身の血の気が引いたのを感じる。体が強張ってしまい声が出ない。逃げなきゃ‥…殺される。なのに足は動かない。
「迎えだ」
その低い声が耳に届いたと同時に、影は目の前に迫っていた。間合いが詰まったのを認識したすぐ次には、体、腹部に衝撃を感じた。
「……うっ」
廊下を映した視界のピントがぼやけて意識が遠のいていく。
「(銀さん!)」
最後に呼んだはずの名前は音にならなかった。
その場にぐったりと倒れ込んだ女を抱えて男は建屋を出た。今回ばかりは有無を言わせなかった。狂った予定の軌道修正には手間がかかる。これ以上この女を外に、特にあの野郎の元には置きたくないと強く感じていた。男は薄暗い町の裏通りを行く。やがて見えてきた迎えが二人の帰還に頭を下げた。
ヒロインサイドは急展開です。そして万事屋方面(裏側)の補完もします
20240128*星宮はちこ 裏語