レプリカ虚像乙女
 【第十章、動乱 九十七話、解答】


 騒動を収めてみんなが戻ってきた。彼らを見送ってからというもの、あっという間に時間は過ぎてしまった。外はもう暗く深夜と呼ぶにふさわしい。状況のせいにしてはいけないけれど晩ご飯のことは何も考えていない。もういっそお登勢さんの所に皆でお邪魔しようかな。


「(何といってもあんなことがあったんだもの……あれ?)」


 私は重い目蓋を開いた。
 全部夢だった。願望が夢になったのだろうか。残念ながら彼らが帰ってきた記憶はない。視界の中に映る天井は私の知っている万事屋でも、真選組屯所のものでも大江戸病院でもない。ならばここはどこなのだろうか。確か私は万事屋にいて……。


 ……

 ‥‥


「目覚めたか」


 覚えのない男の声がして慌てて上半身を起こした。一人分とは思えないほど広いベットの上だった。私はどれほど寝ていたのだろうか。頭だけでなく全身がだるくて石のように重く感じた。これまた広い部屋の向こう側から男がゆっくりと姿を現した。男の存在を捉えて静かに体が強張る。
 この人は私を殺そうとしている。攘夷組織鬼兵隊の総督……あの真選組が組織を挙げて逮捕せんとしている存在。高杉という人。以前に真選組屯所の資料室で確認したお世辞にも上手くない似顔絵と特徴だけは似ているだろう。

 話があると男は切り出した。私に、と疑念を一面に押し出す。男は腰に差していた刀を机の上に置いた。ぱっと見た限り他に凶器となるものは身につけてはいないようだ。これで、いきなり斬り殺される心配はなくなったのだろうか。その人はゆっくりとベッドに近寄ってきた。


「全部思い出せ」
「そんな簡単に記憶喪失の状態が戻るとでも?」
「ああ。全部仕組んだことだ。……お前自身がな」
「私自身が……」


 記憶が戻れば全てわかる。私自身が何者でどこで何をしたのかも、と男は続けた。そして、全部思い出した後でお前自身がどうしたいのか決めろ……とのこと。全てを思い出してしまえば長かった逃亡生活が終わるのだろうか。

 私は攘夷組織で何をしていたのか。どうして組織を裏切って逃げ出したのか。

 それは、私がいずれ思い出さなければならないものだろう。真選組の調べでは兵器開発に関わっていたと言うことになっている。私が人殺しの道具に関わっていたなんて……嘘だと信じたかった。
 私は男の言葉を受け入れた。その言葉を聞いて男の口元が緩むのがわかる。準備が終わるまではゆっくりしていろ。そう言ってどこかと連絡を取っているようだった。
 周囲を見渡してみると、ここは大きな窓が特徴的な部屋だ。もしこの人が部屋を離れるのなら……電話を使ってこっそり外に、真選組に居場所を伝えることができるのではないだろうか。まだ助かる可能性はゼロではない。希望は捨てない。


「行くぞ」
「今から? もう準備が整ったのですか?」
「早い方がいい。歩けるか」


 差し出される手をじっと見つめていた。
 裏切り者なのに随分と優しい扱いだ。想像だけど、捕らえられた裏切り者は牢獄とか両手を縛られて空き部屋に転がされているようなイメージだった。差し出された手を掴む勇気はない。

「お構いなく」

 そう答えて私はベッドを下りて立ち上がった。首元が痛い。頭もクラクラする……貧血だろうか。姿勢が傾いて僅かに体がよろめいた。倒れないように咄嗟に壁に向かって手を伸ばすが、先に背中に回った手が私を支えていた。


「まだ動けねーか。もう少し休みゃ良い」


 そう声を掛けられて、あっという間にベッドの上にに戻された。恐いくらいに優しい。処刑前の最後の情けだろうか。いや違う。なぜだろう……そうとは思えない。男はどこにも行く様子はない。ただ窓辺に置かれた椅子にもたれながら、煙管で煙を吸っている。
 ボーッとしていて働かない思考と動かない体。この状態だと、まだ横になっているのは正解だろう。私は視線だけで窓辺にいる男を見つめた。
 筋肉隆々とは言い切れない細身の体。紫紺の髪に痛々しく巻かれた包帯は左目を隠している。気怠そうな右目の奥底には力強い光。強さと儚さが共存している……不安定な人。


「ねえ貴方の名前は?」


 だだっ広い部屋。無音のそこに小さな呟き声はよく通る。男はこちらを見ずに外を眺め続けていた。

「知ってんだろ」
「ええ。でも貴方の声で教えて」
「高杉晋助」

 それは土方さんが教えてくれた名前そのもの。攘夷組織鬼兵隊の総督。江戸でもっとも危険と恐れられる男。
 次に今の時間を尋ねれば深夜だと教えてくれた。この部屋について聞いてみるとこの人の自室らしい。ちなみにここは鬼兵隊の飛行船らしい。


「口が減らねーのは変わんねぇな」


 この人は私の何を知っていると言うのだ。湧いたのは怒りの感情だった。それ以上は口を開く気になれず、男の方も言葉を発さない。

「……」

 皆と別れてから随分と時間が経ってしまった。銀さんは……万事屋のみんなは、土方さんに真選組は無事なのだろうか。覚えているのは、土方さんに呪いが降りかかり、真選組に緊急事態が起こっていることまでだ。あれからの情報は一切ない。万事屋にいると約束したのに、ヘマをしてよりによって例の攘夷組織にとっ捕まってしまった。これ以上の迷惑はないだろう。グルグルと浮かぶのは自己嫌悪ばかり。本当に自分自身が嫌になる。
 やがて薄れる意識と目尻から零れる涙が静かに布団を汚した。


 ……

 ‥‥


 翌日。私は高杉晋助の自室から連れ出されていた。相変わらず体は満足に動かせないけれど、立ち上がって歩くことは出来る。何の拘束具もないまま男の背を追い歩いた。正直な所、逃げようと思えばいつだって逃げれるような気がした。ただ、ここがどこかもわからない場所なので、無事に外にたどり着けるかはわからないが。
 真っ直ぐな長い廊下が伸びている。途中には左右にいくつか枝分かれしているようだ。突き当たりには扉。私たちはゆっくりと道なりに歩みを進めている。前を進む黒い背中を視線が追い続けていた。なぜだろう。頭の中では次の角を曲がるような気がした。ふとイメージが浮かんだとでも言うべきか。私の想像通り男は廊下を曲がったのだ。

「……」

 今のはなんだろうか。この場所を知っているような、実は覚えているような気がする。取り残されないように慌ててその角を曲がった。同じような感覚が二、三度続く。そして階段を降りて深い階層にたどり着いた私たちは、今度こそ突き当たりの部屋にたどり着く。
 扉を開いてみると、空き部屋なのか広い空間の真ん中に椅子がぽつんと一つ置かれていた。明かりも十分ではなく、薄暗い室内にスポット的に椅子周辺が照らし出されていて不気味だ。周囲を見渡してみても椅子以外に物はないと思う。そこでやっと男が振り返った。


「座って待ってろ」


 その言葉にはたじろいだ。座った途端に首を斬られる可能性だってあるのだ。ざっと見る限り男は腰に刀を差していないけれど。いや、一度見たからといって武器が刀とは限らない。見えないところに拳銃を隠し持っていてもおかしくはないのである。


「安心しろ手出しはしねぇよ」
「……」


 私の動揺を見抜いて男が声を掛けた。その言葉が嘘の可能性だってあるけれど、今は男を信じるしかないのだろう。少し時間を置いて私はゆっくりと椅子に腰掛けた。同じタイミングで、先ほど我々が出入りした扉が開く音がして視線が上がる。誰かが部屋に入って来たようだ。明るい髪に眼鏡をかけている。……この人は。


「情報屋」
「チャオ! 久しぶり〜。やっとここまで来たね」
「貴方も鬼兵隊なのね」
「それは違うよ。利害関係と言った方がいいのかな? お客と情報源?」
「オイ。早くしろ」
「は~い」


 このまま男を問い詰めようと思ったが高杉がそれを阻んだ。両手を掲げて降参のポーズで応じると、情報屋は胸元から何かを取り出した。右手に何かを握ったまま私の目の前まで歩いて来たではないか。一体この男は何をしようと言うのか。処刑、或いは拷問か。わからない。目の前に立ちはだかる存在に恐怖を抱き、呼吸が乱れた。男が右腕を前に伸ばし握っていた掌をゆっくりと開く。落ちてきたのはチェーンに繋がれた円錐の金属だった。

「(何これ……)」

 ブラブラと金属が空中を揺らいでいる。昔テレビで見たことがあるような無いような。たしか催眠術だっただろうか。その術にかかると、苦手な食べ物も気にせずバクバクと食べたとか。しかしそんなモノで失った記憶が戻ってくるとは思えない。たとえ催眠効果や暗示効果があったとしても、だ。
 金属は私の目線の高さでゆっくりと左右に動き始める。視界の中で揺れ動く金属を感じながら、私の思考はいたって冷静だった。正直な所、非科学的な事は信じない主義だ。一般的に催眠や暗示が人体に与える効果や影響がゼロではないとしても、記憶喪失は治りはしない。


 右に左に金属が動く。


 目蓋を閉じてやろうかとも思ったけれど、私をニコニコと見下ろす情報屋の圧力がそれを許さない。ただ視界の中で振り子の金属がどれだけ揺らいでいても、私自身には何も変化がない。そう思いたい。多分。何よりも「大丈夫」だという思いは強く揺るがなかった。思考の中では、どうすればここから逃げられるかと考えが巡っている。完全に私の中で催眠術に対する意識が削がれているのだ。


ちゃん……どう?」


 別に何も、と声に出さず意識の中で答えた時だった。

「!?」

 どうしてだろう。急に思考が働かなくなった。体の方もまるで金縛りにでもあったかのように動かない。声も出ない。


「(……何これ? 一体何が起こったの?)」
「準備はいいようだね。じゃあ記憶の鍵を開こうか」
「(記憶の鍵?)」
「君は全てを思い出す。忘れていた鬼兵隊の記憶を。そして完全な君を……を取り戻す」


 相変わらず振り子が左右に揺れている。記憶……忘れていたものを取り戻す。 私が私を取り戻す。それはもちろん鬼兵隊ののこと。私が意識した瞬間のことだ。脳裏で弾けるように映像が、意識が、記憶が再生された。

 あの日がまた始まった。


答え合わせ始まります。
20240825*星宮はちこ   裏語