レプリカ虚像乙女
【第十章、動乱 九十八話、罪咎】
数ヶ月前の某日。組織で“ある重要な決定”がなされた。その内容が最初に伝えられたのは鬼兵隊幹部。だが同じ場に船医の
も一緒であった。彼女は丁度、総督の高杉にお茶を届けに来たタイミングで、残るように言われてそのままその部屋にいたのだ。
「ようやく地球に戻る日が来たのですね!」
報告を聞いて心が躍った。それは声や表情にも存分に表れていたようだ。子供っぽい、などと毎度のように来島に小言を言われながらも
は手に持っていたお盆を抱きしめた。我々鬼兵隊は大江戸科学研究所の件を終えてから、一度宇宙へと渡っていたのである。
目的は、春雨と呼ばれる宇宙海賊との会合だ。……だが実際には総督の高杉とNo,2の河上が小型宇宙船に乗って敵の戦艦へと渡っていただけで、鬼兵隊の船では特に何も起こらなかったのだが。その間、
は何よりも二人の身を案じていた。 春雨の船と鬼兵隊間の通信は一日一回しかなく、しかも最低限の報告のみだったと言う。武市から知らされる二人の状況を毎日心待ちにしていた。来島は幹部として通信を聴きながら武市と言い合ったり(いつものことだが)、
と他愛の無い話をして過ごしていた。数日後、漸く二人は無事に鬼兵隊の船へと帰ってきたのだ。
鬼兵隊は一度江戸に戻る。
彼らの前に立つ高杉の口から確かにそう告げられた。先の言葉を口にしながら喜ぶ
とそれに次ぐ来島。高杉の口からは以前と同じくしばらく散り散りになって江戸に留まると続く。少しの間だけでも、また穏やかな日々が続いてくれたら……良かった。
「ここから本題だ。一人、鬼兵隊の外に出す」
「え、晋助様。それって一体どう言うことッスか?」
彼の言葉が理解できない。外とは一体何を指しているのだろうか。
自身も来島と同じような表情をしているのだろう。
高杉さんの話によると、今後鬼兵隊が江戸で活動を行うに際して、真選組の動きを知るために間者を出すとのこと。極秘任務なので内容は本人にのみ直接話すと言う。間者は現在人選中。少なくても数日以内には決めるらしい。出来れば相手に面が割れていない者が好ましいのだとか。攘夷組織が幕府お抱えの真選組に間者……とは、とても危険な任務だ。正体がバレたら良くて尋問、最悪の場合は殺されかねないのだから。江戸に降りてひと時の安息かと思いきや、鬼兵隊が攘夷活動を再開しようとしているのだ。また人が多く亡くなっていくのだろうか。
の胸に重い突っかかりが出来た。
「考え事にしてはひでぇ面だな」
下から声をかけられて、
はぼーっと飛びかけていた意識を戻した。高杉の自室へと呼び出されて、彼の支度、頭の包帯をつけ直す作業を手伝っている最中で意識が彼方に飛んでいた。意識を手元に集中していなかったからだろう、彼の頭に巻いた包帯が微妙に歪んでる。ここはバレないようにこっそりと整えておこう。
は端を専用の金具で留めると高杉さんの顔を覗き込んだ。
「いえ。何も」
「当ててやらァ。どうせさっきの話だろーが」
「そんなのじゃ……ないです」
「わかりやすい奴」
私の視線が大きな窓に映った宇宙の風景を捉えた。外。だが何も見えない深い闇の世界。遠くに僅かに瞬く星の光も疎らで弱く、闇にかき消されているのだろう。窓に映るそれらを見ていると、先程の極秘任務が脳裏に浮かび胸のモヤモヤを増大させるばかりだ。また誰かが危険に晒されるのだろう。高杉さんと万斉さんがこの船を離れて春雨の艦隊に行っただけでも、私は気が気ではなかったと言うのに。
「私に出来ること……もっと皆さんの、高杉さんのお力になれたらいいのに」
医者としてこれ以上に、それ以外にももっと。高杉さんと鬼兵隊の皆がより平穏に過ごせるようになればいいのに。だがこの望みは我儘だろう。私が鬼兵隊という攘夷組織に身を置いている時点で、平穏な生活を望むことは。
椅子から立ち上がった男の手が私の頭に触れた。その手は平然と人を殺すことができるのに、とても優しく触れてくれる。
「お前の心配する事じゃねぇよ」
「私だって心配します。心配する事です。もし鬼兵隊だとバレたら、その人はきっと……」
殺される。誰も死んで欲しくはないのに……と願うのはいけない事なのだろうか。戦闘に参加できない自分と戦闘を止めることが出来ない自分が嫌になる。私にもきっと何か、医者以外にも何か。
頭の中で弾き出された可能性に視線を上げた。
「高杉さん! 真選組には私が行きます。私を使ってください。間者でも何でもやり遂げます」
そうだ。間者には私が行けばいい。他の誰も危険に晒さずに済むのだ。それに色々事情があるが真選組と面識がある。その特殊な事情を使えば、私のような人間でも上手く立ち回れるはずだ。起こりうる可能性とシナリオが一気に浮かんだ。
「てめーは馬鹿か。使えねぇ奴をおいそれと敵陣に放り込む野郎がいるかよ」
「間者としては使いようがないかもしれませんが……仕事を覚えます」
「行かせねぇ。寝言は寝て言え」
「私、本気です」
高杉さんはそれ以上口を挟まなかった。無言を決めたのだ。話を取り合ってもらえない事が悔しい。私だってやれば出来ることを信じてほしい。言いたい事はたくさんあるという表情を前面に押し出して高杉をジッと見つめた。メンチを斬り合う事数十秒。ため息と共に男が折れた。
「大体、嘘一つ満足につけねぇ馬鹿正直が。お前に人が殺れるのか?」
「人殺しは出来ません。その方が目の前で苦しんでいるのなら助けます」
「クックック。間者ってのはなァ、馬鹿正直で生半可な奴には務まらねぇ。鬼兵隊との繋がりがバレりゃ命は無ェ。その時点で組織はそいつを切り捨てる」
お前にそれが務まるのか。静かに表情が訴えかけてくる。鋭く優しくはない眼差しだ。
「策があります」
は思いつく限りの可能性を告げた。わずかであるが真選組と面識があること。
が鬼兵隊として活動していて、重要な情報を握ったまま裏切り者という立場で真選組に拾われれば、彼らは情報が手に入るまで簡単には殺しはしないだろう。その状況なら……きっと間者として動く事ができる。
「尋問受けてベラベラ喋る様、浮かんでくるぜ」
「なら全部忘れたことにします。記憶喪失という事で」
「その嘘。突き通す事ができんのか?」
「多分……無理ですね。忘れたいこともあるけれど、忘れたくないこともたくさんあるから」
「どうだ納得したか」
この話は終わり、と言わんばかりに高杉が肩を竦めた。
だが私の頭の中は別のことが浮かんでいる。以前に大江戸病院で働いていた時に聞いた話を思い出したのだ。
精神療法の一種、思い込み。心の傷を緩和させるための治療法で。それを応用すれば……あるいは。要は催眠術というわけだ。ある人は辛い記憶を薄れさせ、ある人は苦手な物を好きだと思い込み生活が変わったとか。記憶喪失であってそうではない。
忘れていると思い込む。
単純なようで簡単にはいかない。脳の構造と機能はとても複雑だから。専門家にしかできない技だけど、試してみる可能性はある。もしそれで上手くいったら……私は記憶喪失のような状態になる事ができるのではないか。そう告げた。
思い込みという記憶、強いていうなら脳への干渉。方法は専門家の論文を見れば何とかなるだろう。施術者の経験や腕も必要かもしれないが。
「はぁ……
。お前ェの考える事は俺の想像の斜め上を行きやがる。夢物語も大概にしろ」
「夢じゃありません。現実です」
「わかった。もしそれで記憶を忘れられたとして、取り戻せる保証はねぇだろ。そのまま一生思い出せねぇ可能性だってあらァ」
「もし全部忘れてしまったらまた皆さんと出会います。鬼兵隊のお医者さんとして働かせて下さい。むしろちゃんと思い出して帰って来ますから」
「だから寝言は寝て言え」
背中に回った腕が
を抱き寄せる。男の胸元は暖かい。どこにも行かせないという意思表示のような抱擁だった。高杉さんの気持ちが手に取るようにわかってしまった。それに甘んじるのもまた一つの選択だろう。そして甘えないという選択肢だってあるはずだ。
「高杉さん。お願い私に行かせて下さい」
無謀なのはわかっている。それでも私に出来ることや私にしか出来ないことだってあるはずだ。馬鹿だと呆れられることも知っている。それでも私は、鬼兵隊の一員だ。
の言葉を聞いてだろうか、抱き締める腕の力が強くなったような気がした。
「真選組に間者が入った場合の奴らの動きを知る。ただそれだけだ」
「そんなことのために、仲間を使って危険を冒すの?」
「だが重要だ。春雨の連中の動き次第だがな」
誰かを殺すわけではない。任務の目的は、間者が真選組に入ったときに彼らがどのような動きを見せるのか、を知りたいらしい。
逆に言いたい。本当に高杉さんの考えは読めないのだ。
自分で口にしといてアレだけど、私に餌のような任務が務まるのか……。よくわからなくなってきた。しかし一度口にした手前、女に二言はない。
「お前の望みは今回だけ聞いてやる。だが忘れるな」
必ず戻ってこい。そう高杉は念押しした。忘れたままでは許さないとも付け加えて。本来はしないが、間者に監視役を付けるという。間者の監視とは。それでは間者の意味がないような気がするけれど、その場では言い出せなかった。いや本人が記憶喪失(という設定)で意図して動けない状況で、真選組の動きを知りたいなら必要なのか。
次いで言われたのは、もしも
の身に危険が迫って来た時には無理やりにでも鬼兵隊に連れ戻す、とのこと。そこに
の意思は存在しない。誘拐だろうが何だろうが、どんな犠牲を払ってでも連れ戻すという。真剣な眼差しと目が合って息を飲んだ。
「鬼兵隊のことも高杉さんのことも、一時的にだけど忘れてしまうこと許して下さい。でも必ず思い出して帰って来ます。これから高杉さんと会っても他人です。もし貴方が手を伸ばしてくれても、きっと拒絶するでしょう」
一般人の私は攘夷組織の手を掴んだりはしない。
自分が組織と関わっていたことを拒絶するはずだ。その状況を理解できずに真選組に協力する。きっと。そうなっても……疑わずに私を待っていて欲しい。そう告げた。あとは、無益な殺しはやめて下さいねと釘を刺しておくぐらいしかできないけれど。
「いいぜ。面白くなってきた。馬鹿共に教えてやらァ。テメェ達で守れねぇモンがあるってことをよ」
私は真選組に捕まることになる。不安といえば不安しかないけれど、他の誰かが間者として暗躍して無事に帰ってくる確証がないよりはきっといいはずだ。肩口に埋められた顔から、高杉さんの静かな問い……あるいは予言が囁かれた。
なあ
……お前帰って来た時、後悔するぞ。
あの時は、何だかんだ考えもせずに笑っていたけれど、私は今その意味を思い知った。
真実。忘れていると思い込め。
20241020*星宮はちこ 裏語