レプリカ虚像乙女
 【第十章、動乱 九十九話、洗脳】


 が間者として外に出て行く事は、翌日になって幹部にのみ伝えられたらしい。
 聞いて早々だろう。来島が医務室まですっ飛んできて、「さんには無理ッス!! 危険すぎる!!」と散々騒ぎ立てた。その挙句に、手を強引に引っ張られて連れ出され幹部の皆が集まっていた部屋にたどり着く。

。お主自分が何を言っているのかわかっているでござるか?」

 河上も珍しく感情を顕にしている。後ろでは武市さんが右手を額に添えて頭を抱えていた。全くもって良い反応とは言えないだろう。更には腰に手を当てて仁王立ちの来島も口撃を仕掛けてくるではないか。


「そうッスよ! 間者なんて並みの人間に務まる事じゃないのわかるっしょ!」
「よりによって真選組とは。鬼兵隊とバレればいつ殺されてもおかしくはないぞ」
「んなのありえないッス! ね、武市先輩!」
「晋助殿のお考えは?」


 彼らの視線が一斉に窓辺に立つ高杉へと向けられた。当の高杉は室内の騒動も我関せずとばかりに、ジッと外の景色を見つめたままだ。背中は何も語らない。僅かばかり後、男はゆっくりとこちらを振り返った。怒りも何も感じられない静かな眼差しをしていた。

「仕方あるめぇだろ。自身の望みだ」

 高杉の言葉を聞いて、他人を射抜き殺せるような視線(ただしまた子さん一名のもので、他はサングラス越しやら無機質やら……)が一斉にこちら側に飛んでくる。これは本当に怒っているのだろう。それらの感情を一身に受けながら背筋を伸ばした。全て真摯に話して納得してもらうしか方法はない。


「ごめんなさい。間者を送り込むのをを知って、他の誰よりも適任だと思ったので。どうしても無理を言って高杉さんに了承して頂きました」


 深々と頭を下げる。長い髪が肩から滑り落ちた。
 「嘘付けないし、隠し事も下手なのに」と来島から追い打ちがかけられる。彼女の言い分は正しい。私は嘘や隠し事なんてきっと突き通せない。途中までは良くても何かの拍子に漏らしてしまうのだろう。それを嘘や偽りだと知っているのならば、だ。
 だがもし嘘自体を知らないのならばどうだろうか。あるいは嘘や偽証と認識していないならば。知らぬものは知らないのである。出任せに何か言おうものなら別の嘘をつく事になる。認識しない……つまり全てを忘れた状態になれば良いのだ。鬼兵隊の隊士という意味では、逮捕して拷問や死罪にする方が価値があるだろう。総督や幹部なら尚更だ。見せしめの意味もある。だが平隊士(特に私の場合は、真選組には鬼兵隊に所属していると認識されていない可能性がある)、かつ幹部に繋がる情報を持っている人間ならば、簡単には殺さずに生かしておく価値があるのではないだろうか。高杉さんが目的とする、間者が入った時の真選組の動きを把握するためには少々イレギュラーな設定でもあるが、最悪ではないだろう。知らぬ存ぜぬの嘘もつきとおす自信がない私にとっても最適解でもある。
 そして、私は己自身に催眠の類を掛ける旨を伝えた。


「ハァァア!? んなインチキ催眠術で上手くいくわけないじゃん!」
「まあ、ただの催眠術とかなら私も首を傾げるところですが、最近の心理医学に基づいた催眠術ってすごいんですよ」
「そうではない。拙者達が言いたいのは、そんな胡散臭い術に頼るなどどういうつもりだという事だ。記憶が戻るという確証もないのではござらぬか?」
「そうそう! うちらの事忘れたまま思い出せなかったら……どうするんスか!」


 怒りのオーラを発している鬼兵隊の双璧に私は微笑んだ。


「思い出してみせます。もし忘れたら……また初めましてからお願いします」
「嫌ッスよ!! そんな縁起でもないこと言わないで下さいよ! 何でさんがこんな事。間者なんて……」


 来島は泣きそうな表情でに不満を訴えかけていた。だが一方の河上は静かに高杉を見ている。視線は疾うに交わっているのだが互いに口は開かない。視線だけの会話……とでもいうのだろうか。やがて大きなため息の後、河上が折れたのがわかった。手刀でポンっとの額を叩く。次いで来島の額も。半ば睨みつける様にを見ていた来島の視線が外れる。そして次は動揺しながら河上を見上げた。


は真っ直ぐで強情な女でござる。それはもう周知の事実。故に、簡単には曲がりはせぬか。また子。晋助が首を縦に振った時点で拙者らの出る幕はない」
「でも……さんが!」
「また子さんごめんなさい。私は皆さんの事しばらく忘れてしまうけど、思い出して必ず戻って来ますから」


 目の前の少女は唇を噛み握った拳が震えている。大丈夫。そう伝えて私は彼女を優しく抱きしめた。言いたい事はたくさんあるのだろう。罵詈雑言でも何でも受ける気でいた。

「……待ってるッス」

 すべてを受け入れた彼女の手が背に回った。



「まあこれにて皆の同意は得られたわけですが。晋助殿。これからの我々の動きをお教え頂けませんか」



 わかった、と短く返事がした。高杉さんの口から計画が語られる。普段なら鬼兵隊の行動はには知らされることはないであろうが、今回ばかりは違うのだ。
 は偽装の為に髪を切って黒く染める。以前と外見的な差を生むことで、鬼兵隊での立場や作業に疑問や憶測を持たせる意味があるらしい。ある種の印象操作か。心理的な効果だろう。そして高杉さんの伝手でその道に詳しい人を呼び“術”をかける。鬼兵隊との関わりを示す証拠を持ちながら、彼らに追われている人間として真選組と接触。一時的に逮捕されるかもしれないが、殺すよりはその立場を利用する方が良いという判断が下されるという算段だ。真選組は“”という重要人物を離しはしないだろう。その状況で別の刺客を送り込む事で、そうなった場合の真選組の動きを観察する。時がきたら、は鬼兵隊の手で真選組を離れて記憶を戻す。想定外の事態も起こりうるだろう。私には鬼兵隊によって影から見張りをつける旨も伝えられる。多少の流血沙汰も了承済みだ。


「記憶を失わせ、また取り戻すと簡単に言うが。その術師とやらは信頼のおける人物なのでござるな」
「……さぁな。だがそこらの盆暗よりゃ使えるだろうよ。万斉お前も知るところだ」
「?」


 納得したようなそうでないような。まだ不満は解消されていない様子であったが、誰もそれを口にはしなかった。
 来島さんには船を離れる時の重要な手引きを任せることになった。本当のことを言えば、嫌な役だろう。真選組との最初の接触はこの任務の肝でもあった。そこで選択を間違えれば、鬼兵隊の任務が台無しになるどころか、一番最悪な展開としてそのまま処刑されるという可能性もゼロではないからだ。真選組とて愚かではない。彼らが、鬼兵隊とつながりがある人間を受け入れるにはどうするかと考え抜いた結果がそれだっただけだ。は最悪の序章を任せることになった来島に再び謝罪した。


「他の誰にも任せられないもん。ウチがやらなくて誰がするんスか」
「ありがとう」


 遠巻きに眺めていた武市さんがの前に立った。


さん。私とてまた子さんのお守りは疲れますからね。どうか無理などせずに、無事にお戻り下さい」
「もちろん! 武市さんは素敵なフェミニストでしたものね。また子さんをお願いします」
「ええ。素晴らしいフェミニストです。子供が大好きな」
「だから! それロリコンッスから!! いい加減認めたらどうなんスか!?」


 また子さんがあれこれ突っ込むから、部屋が賑やかになってしまった。高杉さんの方を見てみるとバッチリと視線が合った。認めてはくれたけど、彼自身も納得はしていないのだろう。頑張ります、という意味を込めては静かにほほ笑んだ。
 数日後、万斉の手によって腰まであった長い髪を肩まで切り、色を漆黒に染めた。今更なのかもしれないが、河上万斉という男の器用さには感心した。攘夷浪士の他に、表では音楽業もこなしているのは知っていた。だが今回の施術を受けて、まるでプロの美容師のようだと言っても決してお世辞ではない。小さい頃から腰程度の長髪を維持していたが、今はすっかり頭が軽い。毛色も、まるでのそれを思わせるように黒めいている。この断髪は私自身の印象を大幅に変えることに繋がったであろう。そう思う。
 数日の後、鬼兵隊の飛行船は人知れず江戸の外れに到着した。それは私が全てを忘れて皆と離れる日が近いことを示している。


*****


 その日。
 朝から何事もなく静かに時が過ぎて行く。医務室での業務・挨拶をする隊士。それは変わらない日常であり、平和な一日であると錯覚してしまう。けれども今日は違う。今日は作戦決行の日なのだから。意識した途端に高鳴る心音が緊張を示している。
 夕方になっては船内のとある部屋に呼ばれた。船の下層……深部にある物置のような部屋だ。理由もなければ隊士の殆どが足を踏み入れない。部屋の中は背の高さを越える棚が並び、何かしらの備品が置かれている。こんなところに人がいるのだろうかとも疑ったが高杉の命だから間違いはないのだろう。部屋の奥は棚の無い開けた空間になっており、高杉ともう一人が立っている。その人は頭から全身を覆う外套を被っていて、顔が見えるどころか男か女かすらもわからない。二人の間には背もたれの付いた木製の椅子が一脚置かれていた。

「……」

 何だこれは、というのが率直な感想だ。怪しさ、というか胡散臭さに満ちた絵面である。少しだけ警戒心が生まれたのは言うまでもない。


「さあ、時間だ。こっちに来て座って貰おうじゃねーか」


 立ちっぱなしで動かないままのは、高杉に誘われて部屋の奥へと歩み寄った。この人が高杉さんの知り合いで、催眠術師と呼ぶべき人なのだろう。心理学分野の医師ではないのは何となく察している。そして如何にも、というような恰好からして胡散臭さ満点で、呪術師か奇術師のようである。わざとそういう恰好をしているのかもしれないが、真相は不明だ。心理的な威圧は十分に感じている。観察するようにジッと術師を見ていても、相手は我関せずといった態度で案山子のように動きもしない。外套の隙間から顔を覗いてみれば素性がわかるのではないかとも考えた。だが下手に動いて相手の機嫌を損ねたり、高杉の顔に泥を塗る展開は避けたいところだ。とりあえず、今のところは素直に指示に従うことにした。
 は二人の間に置かれた椅子にゆっくりと腰をかける。心音は鎮まるどころか暴れる様にドクンドクンと脈打っている。分厚い布の引き摺る音がして術師が私の目の前に立った。頭を覆う布は顔の部分こそ開いているが、あまりに深く被り過ぎているためか、座った状態で見上げてみても素性はつかめないままだ。
 術師は言葉を発しないままの前に手を差し出した。長い袖の先から手袋だけが見えている。徹底的に隠す方針らしい。

「?」

 差し出した手袋の中から落ちてきたのはチェーンで繋がれた何か。の目と鼻の先で物体は止まった。がそれを認識したのを確認してだろうか。先端の物体がゆっくりと左右に動き始める。何だこれは……昔よくあった催眠術そのまんまの装置である。確かテレビでも大々的に見たことがある気がする。何と言った装置だろうか。
 スプーンをぐにゃぐにゃに曲げたり、物を中に浮かせたり、或いは透視して不可視の文字を読んだりなどの、超能力系テレビ番組が流行った時期があった。病院に勤めていた時の患者や子供たちの中でも流行っていたのでも知ってはいたが。それらのブームはやがて過ぎ去ってしまったのを思い出した。
 催眠術の儀式の最中だが、あれこれと考えられるあたり頭の中はすっかり冴えてしまっているようだ。超能力は夢があっていいけれど、原理は何なのか…何がどう作用しているのか、科学的思考で笑い飛ばしていたのも思い出す。大人になった今では超能力や神通力自体は否定も肯定もしないけれど、お化けや心霊現象に関しては否定派だ。大江戸病院で聞いた催眠療法の具体的な施術方法は知らないけれど、まさかこれと同じとは思いにくい。
 目の前に立つ人が、もしかして“本物の”超能力の人だったりするのか。

「(……笑ったらダメよね)」

 真剣であろうとするほど頬が緩んでくる。そもそもこの状況下で高杉さんの前で笑ったら斬り殺されかねないような気がしなくもない。自分だけでなく目の前のこの人も。なんてあれこれ考えていた時だった。


「?」

 名前を呼ぶ声がして意識が反応した。素肌を一切見せない術師から若い男の声がしたから驚いた。その声を聞いた途端に、突如、私の頭……いや思考がうまく働かなくなった。

「(なに、これ)」

 自分が置かれた状況や己の状態について考えたくても、何もできないうまくいかない。思考だけではない。身体もまるで石になってしまったかのように、指の一本すら動かなくなったのである。逆円錐がの前でゆらゆらと大きく揺れている。

「君は鬼兵隊について全て忘れる。それに関わる自分の事も全て」
「(……忘れる。鬼兵隊と私)」
「忘れたついでに眠ろう。起きたら君は真っ新な君だ」
「(眠る、と私は……)」

 鮮明だったはずの視界が僅かにぼやけて目蓋が重く感じた。術師の背後に立っていたはずの高杉さんが、ゆっくりとの前に近づいてくるのは霞んだ視界の中で捉えることができた。

「(高杉さん……)」

 そう彼の名前を呼ぶことも出来ない。全てを忘れなければいけないのである。静かに首元に伸びてきたその白い手が、の顎に添えられて上を向かせた。重い目蓋で狭くなった視界いっぱいに男の顔が映っている。


、必ず戻って来い。遅けりゃ迎えに行ってやらァ」


 言い終わると唇がのそれと重なった。耳に低く心地よい声。最後に声にならない声で男の名前を呼び、その胸に抱かれては眠るように意識を手放した。


「眠った……か。万斉」


 高杉が男の名を呼ぶと入り口から河上万斉が姿を表した。元々そこに待機していたのであろう。椅子に体を預けたまま眠る女の姿を見て「良い寝顔でござるな」と呆れる様に呟いた。河上の眼差しが、その声と同じく冷ややかなものであるのか、或いは少しの温もりを帯びているのか……サングラス越しには誰もわからない。河上の視線はから外れて後ろに立つ外套を纏った人物に向けられた。高杉が伝手で連れてきた存在だ。彼にも正体は知らされていない。探るような、警戒するような素振りだ。


「フフ、余り見ないでくれない? 何だかんだ鬼兵隊も面白い事になってるじゃん」
「お主何者だ」
「会うのは二度目だよ。人斬り、河上万斉殿」


 固く重い布地を捲れば、いつかに見た男の顔が現れる。変装の類はしていないらしい。その男は大江戸科学研究所に迎えに行った時に、晋助達と共にいた。確か……。

「情報屋でござるな」
「あたり」
「情報を売るにしては些か手が広いでござらぬか?」

 情報屋と名乗るからには隠密や諜報活動をこなすのであろう。仲間がいるようには思えないが、協力者の数は少なくないと思える。情報を収集し、分け与え、時に操作する。だが催眠術まで扱うとは聞いたことがない。
 便利だよ、特に情報吐かせたり操作するにはね。そう男は笑った。心理を読み記憶まで操るとは。男に対する警戒心が増した。


「俺ァ先に連れて行く。後は来島に任せる」
「拙者もお喋りは得意でないのでな。帰る」
「はっはっは! 俺一人ぼっちィ!? もー置いてかないでよひどいなー」
「対価は後で払うから待ってろ」
「まいどあり〜」

 安らかに眠る女は人知れず、来島また子を始め十数人の隊士と共に船を離れた。


裏工作の数々。
20250510*星宮はちこ   裏語